長い独り言

平凡な学部卒サラリーマンの、平凡な人生についての平凡な考察

首(neck)、クビ(fire)③

 

 

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 我々の口腔内や大腸や足の指の間には無数のバクテリアが活動している。バクテリアの中には我々の生命維持にどう貢献しているのか意義の不明な種類もいるが、そんな一見無駄なバクテリアと私たちは共生している。

 

 私が新卒で入社した会社の平均年収は、銀行から移籍してきたベテランに支払われる給与によって引き上げられており、プロパーに限定すれば100万円以上低かったと思う。

 そんなベテランの中には調整と称して、貴部の活動について次のように理解しているがそれでよいかなどと言って1時間近い会議を設定してくる人がいた。会議が延長した結果として1時間に及ぶのではなく、枠として1時間確保したのだから1時間話してよいと理解しているようだった。

 これは私の古巣の標準的なベテラン社員に普通にみられる態度だった。ベテランは私の所属部の事業について理解も勉強もしていなさそうなレベルの話をして帰っていくことが多かった。会議には若手(その若手も会議の趣旨を理解していない)を同伴させてきて、その若手に内容のない会議の書きおこし議事録を作成させるのが常だった。

 

 そんなベテランがどういった形で会社に貢献しているのか私には分からなかった。たぶん貢献していなかったと思う。そんなベテランは上記のバクテリアとよく似ている。宿主に貢献しているか不明だが、ただ宿主と共生している。

 ベテランは銀行から次々と供給される。そもそも私の古巣については、その一番目的を株主の利益やクライアントサービスなどではなく、銀行と一体となったエコシステムの維持だったのではないかとさえ思う(私の古巣は上場しており、人材供給元たる銀行も株主に名を連ねてはいたが、筆頭ではなかった)。バクテリアを取り除くことは当然できず、彼らは自分のキャリアの終盤を穏やかな気持ちで消化していく。

 

 しかし私は、自分がそんな幸運なバクテリアの地位に収まれるほど運がいいとは思えなかったし、自分の子供に仕事について尋ねられたときに口ごもるのが怖かった。自分の愛する家族の生活が無意味な営みによって成り立っているのは不安ではないだろうか。

 私はポータブルなスキルとやらを求めて宿主の体から飛び出して奴隷労働業界に身を転じ、そして体を壊した。私が首をくくった時に、私は自分と共生するバクテリアに責任を負うのだろうか。